2010.08.01
弁天連みこし はじめの日
昭和59年 初めての渡御が1週間後に迫った頃 事務所も家の中も わらじや半纏でいっぱい、部屋も廊下も足の踏み場もなく、座敷のテーブルの上にまでわらじ。仕事のお客様にもお詫びを言いながら、わらじをよけて 座っていただく有様。 つぎつぎと参加してくれる担ぎ手の人たちが 出入りし だれがだれだか 解らないのです。 前夜祭の日と祭り当日は いろいろな人が家中の様々なところで着替えたり 手ぬぐいを結びあったり ふんどしをしめたり おにぎりを食べたりしていました。
いったいどこからそんな話になったのか。 浅草で江戸前神輿をみて 戻ってからの勢いは大変なもので、魚市場前と弁天町の おんちゃんたちは、毎晩集まって飲んだり、食べたりしながら なだれ込むような勢いで 気仙沼みなとまつりで、神輿渡御をすることになったのです。
一景島神社(弁天さん)の神輿は戦前 祭礼の日に地域の人たちが担いでいましたが、戦後はトラックの荷台にお神輿様が乗って、お下がりすることが慣例となっていました。それをみなとまつりの日に全市から善男善女を募集して担ぎ出す作戦です。
浅草から先生が来ました。半纏や祭り道具専門店「仲屋」のお嬢さんでした。 又ひきのはき方 腹掛けの着方 江戸手ぬぐいは けんかかぶり や、クワガタ結び 何もかにも いなせでかっこいいと たんまげだのです。市内二カ所で「みこしファッションショー」をしての担ぎ手募集。
真っ先に応えて「中途半端なものやんだら だめだぞ」といって来た白菊さんは精神的支柱となり、そののち第四代頭となりました。
担ぎ方の先生もよびました、浅草町内神輿の若衆頭です。足のだしかた リズムのとり方 肩の入れ方 掛け声の合わせ方などの練習 見るも聞くも初めてのことでした。
この地域の方々のたくさんのお世話がずっと積み重なっている神輿です。
今年も大勢の担ぎ手が暑さの中 550kgの弁天連神輿を担ぎあげ豪快に揺らし
金色の鳳凰は大きく広げた羽を静かに揺らします。
魂を入れたお神輿様は一晩 斉吉本店に お泊りいただきます。本当にありがたいことです。
神社の祭礼の日ではない、みなと祭りの日に神輿渡御させるため 当時氏子役員の斉藤民夫先生が神社側と弁天連の間に入り 大変なお骨折りをいただきました。