2011.04.01
私の役わり
震災の日 やっと上った高台で 黒い土埃をあげて バリバリと音を立てながら町全体が大波にのまれ 流されるのを見ました。
悲しいというより 自分の目を疑うほどの衝撃でした。
寒さの中 茫然としていました。 ‘覚悟をしなくては‘とばかり 繰り返し念じました。一体何を覚悟するのか その時は、はっきりしたものなどないのですが。
その夜 大きい漁船が連なって係船し美しく自慢だった気仙沼湾は火の海になりました。
三日後、従業員全員無事が確認でき 本当に安堵しました。最高に有難いことです。
ご先祖さまから今あずかっている 斉吉は この大震災の直後にも 真っ先に社員たちが 必ずまた一緒に働きたいと言ってくれ、涙が出ました。
四日後 潮見町工場のあった場所へ行きました。
土台でしか確認できないほどでした。
顔も洗わず、歯も磨けず 一日一日何かをしなくてはと 何キロも歩きました。
海の水が日に日にきれいになるのは 驚きましたし 初めの希望の瞬間でした。
そのうち 少しずつ 繋がらなかった電話や メールを送り続けてくださった沢山のお客様からの心配や お励ましが届くようになりました。
「再開するのをいつまでもいつまでも待っています」ありがたくて、泣きながら一通一通読みました。
何よりも力強く、身に余る幸せです。
亡くられた多くの方が いつか 少しでも安らかなる事を祈ります。
きっとまた 美しい三陸 美しい気仙沼になるように ほんの ほんの微々たるものの動きですが、私には精いっぱいを 続けていきます。
どんな時も 斉吉にかかわってくださるみなさんと一緒に この店を続けていく事が、私の役わりです