2011.05.01
持ち出した宝物金のさんまの返しだれ
「災害時 人命の次に 第一持ち出し」工場の中では 決まっていました。
工場の及川マネージャーは、ずっと前から 非難するときに持ちやすいようにと 自宅から 自分のリュックサックを持ってきて それに真空パックのたれを入れてリックごと冷凍して備えていました。 偶然にも震災の数日後に金のさんまの取材が入っており、「3月9日の地震の時 たれは持ち出したのですか
と 聞かれたばかりで 大丈夫!もちろんだよね とマネージャーと笑ったばかりでした。
その日の揺れは尋常ではなく、これまで地震が来ても厚いコンクリートの基礎と鉄骨の工場は揺れが少なくて 心配したことなど一度もなかったのに 電源がおりて、 非常燈に変わり、ガシャンガシャンと棚から 道具が落ちたそうです。
女性スタッフが全員避難したのを確認して 梶原君はたれを保冷車に乗せて逃げましたが 途中津波に追いつかれ 車ごと流されてしまうのです。水が引いた後 何とか自力で脱出し 付近の民家によじ登ったりしながら 梶原君は助かりました。
震災から3日目に一緒に逃げたマネージャーの無事もわかり 本当にこれ以上の幸せはないと安心したのです。
4日目 梶原君とマネージャーと 小原君は たれを探しに行くといいます。
一面めちゃくちゃの瓦礫の山ですし、何もかもが 一体どこまで流されてどうなったのか見当もつかないほどです。第一道路も何もなく ただ瓦礫がどこまでもあるのですから、社長は内心とても無理だろうと 思ったのです。
何時間か経って3人で自慢げにたれのリュックを下げてきたときの感激は言いようもありませんでした。3人でにこにこして「社長 誕生日プレゼントだよ」そう言ってきたのです。なんて素晴らしい希望でしょう。
一日でも早くこのたれを使ってさんまを炊かなければなりません。
震災前より美味しくて、 大勢の人に元気になって喜んでいただかなくてはなりません。
3月14日 社長も私も日にちすら忘れていましたが 誕生日にたれは見つかりました。