2011.12.01
ようこそ豪邸へ
寒くなりました 風が強い日 ぴゅーぴゅーの音の他に ガラス窓だからガタガタ、 トタンだからバタバタ それに「少し揺れでんでないの?」
昭和40年ごろ 先先代の斉藤みさほが 実家の田んぼを半分ゆずってもらい 漁具倉庫を建てました。
その倉庫の2階に アパートをつくりました 当時解体する家から はずしてきた建具や 立て替えることになった女子高の大きな階段を 移設したり、あるものを様々と組み立て 大工さんが現場調整で建てたものです 図面など無かったと思います。
迷路のような 造りのこの建物が みんなが【豪邸】と呼んでくれる 今の斉吉 です。
あの震災の大きな揺れにも耐え 斉吉の建物の中で一番古い 【豪邸】だけが 残りました。
ここがあって 本当に良かった
津波は50cmほど入ったようですが その後水が引いて10cm程度の泥が残っていました。会社で保管していた鍵も流されて無いので はじめはバリを借りてきて 戸を壊して長靴のまま入りました。
父と母は 「なにす?本郷の倉庫すかぁ」・・・移ってくるまでは しぶしぶの顔でしたが 暮らし始めたら 「工場再建が先だがす!3年はこごでいいがら」と気合の発言
2つ空いていたので 1つは会社 一つは両親と社長と私4人家族の家になりました。自宅のようなエリアと会社のようなエリアがあり ふすまに侵入禁止の標識が貼ってあったりします。
以前は魚市場前大通りでしたが 今は 裏通り しかも外観は倉庫 ベランダはあるけど手すりは赤さび 中は迷路なので とてもわかりにくいのですが お客様が次々に訪ねて下さいます。
もしかすると魚市場前大通りの時より 多いのです。泊まりに来る人もいるし、観光バスもきました。
お客様には本当に申し訳なくもありますが 山のように有難い気持ちでいっぱいです。