2012.12.03
いとしの 軽トラ
20代、結婚する前には 旦那さんと二人 軽トラックにのって 子供をおぶって、長くつを履いている事を夢見ていました。なんて小さくて具体的なことを 夢見ているのだろう と今では おかしくて ちょっと恥ずかしいほどです。
でも 夢は 叶いました。(現在は 子供をおぶって自動車にのることは 法令違反ですね)
震災の時に 会社にあった車の内 軽トラック一台だけ 康ちゃんが 乗って高台に避難してくれたため 残りましたが 他は 全部流されました。
ですから 軽トラックの活躍と云ったら 大変なものでした。
金のさんまの製造を再開するため 北上の工場をお借りしましたが、そこへも片道2時間弱を軽トラックで通いました。
その道の途中で 事件は おこりました。急に爆音がしだしたのです。社長が下にもぐって見るとマフラーが途中から外れていました。 地盤が下がって 海水だらけのところを走り続けたため 短期間で すっかり腐食したのです。土曜日の午後でしたので 整備工場も 月曜にならないと 頼めない と社長が自分で 応急処置だけしました 一台しかない車ですし、日曜も 私たちは 軽トラで北上まで行かなければならないので、斉吉のみんながのっている車は、軽トラの後ろからマフラーの様子を見守りながら走りました。
昔の飛行機の操縦席はこんなだろうかと思う すごい爆音です。エアコンがついていないので 暑いから窓も全開ですし それでも 軽トラックの座席で ああだこうだと 負けずに、大声でしゃべりました。そんな車しかない事も なんだかおかしくて 大笑いしながらでした。
(あたりまえですが これも平常時であれば 整備不良で 法令違反 警察に捕まりますね)
軽トラック一台しかなかったことも、大切にしたいと思いだしました。
新しい年も きっと良い年でありますように