2008.12.01
ナライの風
初代斉藤吉之進が暮らしていたころ魚町は『気仙沼町釜の前』という住所でした。藩政時代海水を汲んで塩を焚く釜があったという話も聞きますが、内湾を臨む町(現在の魚町 南町)を『西風釜』(ナライガマ)といい、ここにも釜という字が使われていています。
ナライというのは山に並んで吹く風のことで、気仙沼では北西の風のことです。
湾は太平洋に向かい南東に開いているために、帆船時代(動力の無い時代 帆を張って走る船)はナライの風を待ち、風を捉えて出港しました。気仙沼の町は海岸や干潟を少しずつ埋め立てながら築かれたそうですが、昔の人は 三日町と八日町をナライの風が通る『風の道』になるよう街づくりをしました。船を沖へ出す『ダシのカゼ』を内湾に集める機能を持った風の道をつくり、計画的に海を残したのです。当時海は 魚だけでなく、人も産物も 新しい文化も運びました。内湾はリアス式海岸を利用した単なる自然の良港ではなく 先人の残した遺産だと聞き、驚きました。
名産の『ふかひれ』が良質なのも 三陸沖、世界有数の漁場で獲れるさめが水揚げされることはもちろん 冬の冷たく乾燥したナライの風が鮮度を損なうことなく『ひれ』の水分を飛ばしてくれるからです。冬に晴天の日が多いのも干物には最適です。
さて ふかひれ は高価で地元でも、そういつもは食べられませんから 日頃はナライの風にさんまやかれいを干します。晴天の日、ナライの風にひと塩の魚を干して 最高にいい気分。皮はぱりっとして身はふっくら 炊きたての新米と地元でとれた白菜や大根の漬物 わかめの味噌汁。気仙沼に暮らす幸せです。
お時間があれば海の市から神明崎まで内湾を歩かれてはいかがでしょう(片道15分くらい)ナライの風が吹いています。