2009.07.01
先輩の力
大正12年 気仙沼町立実家女学校として開校した宮城県立鼎が浦高校(かなえがうらこうこう)は平成17年に男子校の旧気仙沼高校と統合し、男女共学の新生 気仙沼高校となりました。旧 鼎が浦高校のフェンシング班は、昭和28年の創部以来、昭和30年の第一回インターハイで団体優勝、続いて連続4回の優勝をはじまりとして、たくさんの偉大な先輩方を輩出しています。
初めのころは、講堂を兼ねた「柱の間」とよばれる木造の建物で練習したことが鼎が浦高校八十周年記念史にかかれています。明治12年に建てられた、裁判所と登記所の部分を増築したものです。フェンシングの剣は高価なものだったため、毎日の練習は竹の棒でした。当時女学校に通う淑女が、剣を振り回すなど、眉をひそめる大人も多かったといいます。剣がわりの竹の棒を風呂敷に包んで、持ち歩いたと、聞きました。佐藤美代子先生率いるフェンシング班は気仙沼のお家芸といわれる伝統を築かれました。
北京オリンピックで入賞した鼎が浦高校出身の菅原千恵子先生は後輩でもある生徒たちに、「フェンシングは最後の最後まで、強く勝ちたいと思った人が勝つもの」と意志の力を教えています。一瞬の一突き、相手の攻撃をかわす一瞬の動きで試合は天と地を分け流れを変えていきます。負けている時も、勝っている時も 揺るがず、集中して前に進むしかないのです。ダイヤモンドのように固く、邪念なく、きらきらと輝くように勝ちたいと思う者が勝つんだと教えてくださった先生もいます。
先輩が、努力を重ねる姿を、次の後輩は毎日見て過ごすでしょう、振り絞るような思いで泣かなければならないことも、たくさんあるでしょう、少しずつ先輩の気持ちがわかるようになり、また後になってさらに深く先輩の思いを知ることになるのでしょう。
長い間 一代一代の先輩方が積み重ねてきた、その底力を試合の中で見た気がしました。
さあ、今年も、もうすぐ奈良でインターハイです。
当気仙沼 本吉地区は旧気仙沼高校からもオリンピック選手を輩出しています、気仙沼西高校、新 気仙沼高校、またジュニアチーム含め多くの活躍をするフェンシングの先輩を輩出しています。