2011.08.01
初代 斉藤吉之進
斉吉は この初代の名前からついたものです。 今も地元では【斉吉っつあん】と 吉之進は 【がら吉っつあん】と呼ばれています。
吉之進は 兄弟が多く 貧乏だったこともあり、19歳で海軍に志願しました。
日露戦争中の日本海海戦時 連合艦隊に乗り組んでいました。
震災後 思いがけず 吉之進のおかげをいただきました。
風呂のボイラーを取り付けるため アパートに来てくれた三浦さんが 「斉吉っつあんの分は真っ先にやんねば」と言いました。
三浦さんは、小さいころ、 勲章のたくさんついた海軍の軍服を背にした吉之進から 日本海海戦の話を聞いた事を 今も鮮明に覚えていてくださり、たった8坪の初めの斉吉があった魚町の店が とても大きく感じられた と私たちに教えてくださいました。
海軍仕込みだったため 80歳を過ぎても 下着は自分で洗うような 人だったと 父(父からは吉之進は祖父)からも聞いています。
「がら吉」
の愛称は 声が大きかったことと よく喧嘩やもめごとの仲裁に入ったからとのこと いわゆる気仙沼でいう「くまんつぁん」です。
その初代の持ち物だった東郷平八郎書の掛け軸が 震災の泥の中から救出されました。
「皇国興廃在此一戦 各員一層奮励努力」(木版刷り)
吉之進は 佐世保から 巡洋艦橋立に乗りますが 連合艦隊司令長官東郷のところへ、当時まだ 髷を結って刀を持った薩摩隼人が 大勢見送りに来たのを見て 帰れないのではないかと思ったそうです。
心に迫る言葉です。
【各員一層奮励努力せよ】 やっとアンテナの立った私達へ初代からのメッセージだと 確信しています。