お客様の声 ハロー斉吉セット

2009.01.01

希望の年に

三歳ごろ小児喘息といわれ地元の名医にかかりました。夜中の発作は毎度のことでいつも深夜に駆け込んで診てもらいました。
仙台の大学病院でアレルギーテストをしました。〔卵と鶏肉がアレルゲンなので食べさせないように〕といわれたそうです。母は〔今まで食べでだのに卵と鶏肉食べないなら世の中のたくさんのものが食べられなぐなっかす。母親になってからも自分が食べないものは子供や家族にも出されないがすぺ〕信じられないことに、大学病院の先生のお話に反し そのまま食べさせ続けました。母は自分のことを「いいからかげんが服を着て歩いているようなもんだ」といっています。
 そのときの母の考えが正しいかどうかということは別として、私は何でも食べられるおかげで、今 食べ物を作る仕事ができています。
そんなわけで幼稚園はほとんど通えず、たまに行っても、ちょっとした屁のようなダメージにも弱く すぐ泣きます。朝 通園バスに乗るときは100パーセント泣いていました。小学校に上がったからといっても 普通に通えるわけではありません。当時は登校拒否という言葉はありませんでしたが、1500人もいる大きな学校で朝から泣きとうしているのは私一人だったと思います。朝 祖父はたっぷり砂糖の入った卵焼きを焼き、これまた たっぷり砂糖の入った温ったかい牛乳をそろえてくれました。 母は私を船が入って忙しいからと頬って置いたり、後ろから追い立てるように怒ったり、励ましたり 食べられない給食を前の日家で練習したり、いいかげんながらも、いろいろ手を掛けてくれました。何年か、かかりましたが、学校は行けるようになりました。
母のいいかげんは(でたらめ)ということではなく(良い加減)ではないかと思っています。
日々は様ざまなことがあります、様ざまなことに、少しずつ折り合いをつけ前を向いていると必ず希望につながるものだと、そんなふうに思います。
今年も、主人と父と母と 三人の子供と元気で新しい年を重ねることができました。
ありがたいことです。

               

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