2015.07.02
愛しの軽トラ・その3
山も田んぼもそこかしこ、みんな緑色の季節です
4年前のいまごろ
軽トラックに社長と二人で乗っていました
これまでで一番長い距離を軽トラで走る日が続きました
軽トラは普段ちょっと市場まで行くとか 工場から冷蔵庫まで10分とかそんな程度市内を走るものと思っていましたが
そのころは 往復3時間以上かかる、借りていた工場へも行きました。
もともと古かったことに加え、海水が上がってきたでこぼこの地面を走り、車を洗う水も自由でなかったため足回りはどんどん腐食していきました。
ついにマフラーが落ちたその時は、あまりにひどい排気音に話し声もまったく聞こえず、がっかりというより大笑いしてしまいました。
そのようなオンボロぶりなのに
修理をしてもらい、また乗り続けましたが
ついに運転席の床が 海水で腐食して穴が開きました
走っている地面が見えるということです
がっかりというより また、なんだか可笑しくて笑い、そうなると軽トラは、すっかり可愛くてしかたなく、穴の上にマットを敷いても乗り続けたくなったのです
でも、そんなわけにもいかず
大活躍してくれた 軽トラとお別れすることになりました。
震災の時に康ちゃんが高台まで乗って避難し、一台だけ残った斉吉の車で
貴重なガソリンが入っていて水を汲みに行ったり、食糧調達をしたり、風呂に行く会長をのせたり数えきれないほど世話になりました
震災から約一年、お別れする日は 封切りのお神酒を運転席や床の穴に、荷台にかけて
みんながそれぞれに声をかけていて、涙が出ました。
愛しの軽トラでした。