お客様の声 ハロー斉吉セット

2011.03.01

金のさんまをつなぐ人

明治生まれの祖母は あさり 小女子 はぜ 小さい蟹
 などを炊く佃煮屋でした 戦中から戦後にかけて 材料が入らなくなり祖父と祖母は 商いの形を変えました。

金のさんまと名前がつく前に、商品としてさんま佃煮を最初に炊いたのは 母ですが その味の手本となったのは 祖母の味です。
近所に出かける時も 普段着の着物から 必ず よそゆきに着替える まじめで 大した働き者の祖母でした。
私が知るころは
70歳を過ぎた祖母が庭先で 着物にもんぺ 割烹着を着て頭は手ぬぐいで 姉さんかぶり。一斗缶に座ってさんまを卸し 大きな鍋で炊いていました 遠くに住む もう大人になった子供たちへさんまの佃煮を送る為です。
母は斉吉に嫁ぎ 祖母から特に教えられたのではないといいましたが 、同じ味のするさんま佃煮でした。
私は、母に教えてもらいました。その後 商品をもっと柔らかくしっとり、甘みも醤油も少し減らしたく、改良を始めました。
工場の煮物が得意な村上さんと(美恵子先生と呼んでいました) 毎日毎日 作り直しです 美恵子先生は毎晩 夢にまで さんまの佃煮が出てきたそうです。
そして金色に炊きあがる【金のさんま】ができました。
今は三代目の担当大臣 千加ちゃんと中里さん
作り始めたころからずっと 継ぎ足して使っている「返したれ」を入れて炊きます。津波など有事の時にながされたりしては明日からさんまが炊けなくなりますから、定期的に入れ替えて冷凍した「返したれ」をリュックの中に入れて 災害時は人命の次に第一に持ち出すことに決めています。
 工場では毎日大切に鍋の中のご機嫌を見ながら【金のさんま】を仕上げています。
でも さらに ありがたいのは 抜群の鮮度でさんまを獲ってきてくれる漁師さんの苦労と 【金のさんま】を美味しいと喜んで食べてくださる お客様のおかげです。心から感謝。

               

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